渋沢栄一、日本資本主義の父といわれる所以
江戸、明治、大正、昭和と4つの時代を駆け抜けた渋沢栄一。2024年には、新1万円札の新しい顔となる。
江戸末期、徳川昭武民部公子に同伴し渡仏。その間、大政奉還から倒幕へ。新たに明治政府が誕生し、その中で更に海外で感じ学んだことを日本のために活かそうと紛争する。
欧州から戻り、新たな時代の海原で奔走した渋沢栄一は、静岡に「商法会所」を設立、以降会社の設立と運営をした企業500、そして600もの社会事業に携わった。
銀行、鉄道、ホテル、建設、電気、ガス、水道、通信等、学校、病院など、今や私たちの生活には欠かせない現代社会の基礎を築いた「日本資本主義の父」渋沢栄一が提唱した「倫理と利益の両立」の思想は、今日でも多くの経営者が目指すべき形と言える。
渋沢栄一が創設に関わった主な企業
私達が知らない企業はないというほど近代日本を作り上げたきた渋沢栄一。
その功績や関わりを知れば知るほど、日本の産業が明治から発展していき、人々の暮らしもよくなっていったのだということがうかがえる。
まずは、お金に関する事業。
フランスで学んだ、それぞれがもっている眠っているような少額のお金を集め、まとまったお金にし、新しい事業に投資することで、事業の成功があれば配当も得られ、WIN WINとなるという構図を日本で銀行をつくることで取り入れていった。
経済の軸となるところだ。そして、合本主義の渋沢栄一がお互いの素晴らしい所を取り入れ、新たな、革新的なものをつくっていくという思想は、青年期から一貫して生涯ぶれずに進んでいったものだった。
現在、上記のような企業で働いている人たちでも、自分の会社がどのような歴史を歩んできたのか、歴史上の人物でどんな人たちが関わってきたのかなど、知らない人も多いと聞く。
時代ともに、企業の在り方や考え方も変化し、毎日が精いっぱいで、過去を知るなんてことに対しては余裕もない人も多いだろうし、語り継がれている企業も少ないのかもしれない。
中には渋沢栄一が関わりをもっていた清水建設などは数年前に社是に渋沢栄一の教えを取り入れたと聞いた。
自分たちの企業に誇りをもって、新たな革新的なことがなせるよう、今一度、この時代だからこそ見直してみる必要があるかもしれない。
現在の企業群と当時渋沢栄一がどのような事を成し、新たな時代を作り上げていったのか。渋沢栄一の信念が、幕臣から新しい明治政府の役人へ、そして民間人になって民間企業を作り上げていく。
静岡に「商法会所」を設立したのも民間企業が発展するための一つの起点だった。
今や「商工会議所」として各地にあるが、たくさんの企業が会員となっている。
東京会議所ビル内においては、設立の父の渋沢栄一像もある。
東京丸の内本社・東京商工会議所にある渋沢栄一初代会頭像
渋沢栄一の企業との関りを今後確認していきたいと思う。
渋沢栄一をもっと知るには