東京北区王子にある飛鳥山。渋沢栄一の壮年期に過ごした棲み処であるが、ここ、飛鳥山のおみやげ館では渋沢栄一に関するものや、北区発信のおみやげものが勢揃いしている。常に足を運んでみると、新しいものが都度おかれていることに気づく。
おみやげ館の右隣には、上記のイケメンたちが描かれた大型パネルがある。大河ドラマ「青天を衝け」でもでている人物たち、渋沢栄一、渋沢喜作、尾高平九郎、徳川慶喜だ。そこでは記念撮影をしている人も多い。
そしておみやげ館入口横には「なりきり一万円札」の撮影が可能。
4月も下旬になると、真夏日もちらほらとある。そうなると携帯したいのが、扇子。扇子は、100円ショップから百貨店まで、価格もバラバラ、質もバラバラ。
おみやげ館でも新作が登場!
渋沢eiのロゴマークはついた、高級扇子!
渋沢×北区飛鳥山おみやげ館
【渋沢栄一と養蚕・富岡製糸場】
渋沢栄一は、世界文化遺産になった富岡製糸場を創設した。
渋沢栄一が育ったのは埼玉県深谷市血洗島。
渋沢家は、藍と蚕を育てる豪農で養蚕にも通じていた。明治維新で新しい国家体制となった日本が、列強国に組み伏せられないために、「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもとに養蚕・絹産業を推進し、当時ヨーロッパに蚕の微粒子病が流行ったこともあって、開国以来花形産業として日本経済を支えるものになっていった。
江戸時代末期、1859年の横浜港開港と同時に輸出の主役となった生糸とその5年後に輸出が解禁された蚕種の評判は地に落ちていくようになっていった。
外国人からの大幅な需要増が品不足を招き、その結果、経験のない新規参入者や金儲けに走る商売人によって、著しい品質の低下が引き起こされてしまったのだった。
そこで明治政府は、模範的な官営の製糸工場を設立することを決め、当時の大蔵民部省の官史だった渋沢栄一に託したという。
製糸には必須となる大量の水が確保しやすく、製糸動力となる石炭が近隣で採掘でき、そして一帯が江戸時代から続く養蚕地帯であったことから、栄一は当時人口2,000人ほどの寒村だった富岡を建設地として選定した。
冨岡製糸場
富岡製糸場は300人の工女が一度に働けるほどの大規模先端工場だったが、新生近代国家の日本が運営するには手に余り、経営的にはうまくいきませんでした。ただ、栄一はここで培った労働条件などのシステムや数々の経験が、教訓も含め後の日本に大きな役割を果たしていったともいえる。
日本では、絹織物がとても高級なイメージがある。手でつくるようであれば尚のことだ。
【順風満帆絹地扇子】
扇子はセンスの良いものを長く持ちたい。シンプルで重厚なつくりの絹地扇子。順風にことが運ぶような風を起こして欲しいという願いからネーミングされた。
絹地は勿論藍色。eiのマークがハイセンスに光る。冠婚葬祭にも活用でき、粋でいなせな感じだ。
【新しい風絹地扇子】
同じく絹地でつくった扇子。竹骨のところは繊細な模様細工が施されている。そして、絹地は青のグラデーションで、そよ風を起こすようなイメージ。まさにこれから色を染めていくような新しい風を巻き起こして欲しいという願いを込めてネーミングされた。
どちらにもそれぞれ渋沢栄一の一訓が絹産業と渋沢栄一の関わりについての説明書とともに入っている。更に持ち運びに便利な扇子袋、房を2本おつけして、房をつけてもつけなくても、色を取り替えても取り替えなくても、というように自由にデザインできる!
価格は両方とも税込3,300円。
お土産館でも手に入る。
これからの季節は、渋沢旋風を巻き起こして、自分自身の風にもしていこう!
【アクセス】
渋沢×北区飛鳥山おみやげ館
・JR京浜東北線王子駅南口徒歩5分
・東京メトロ南北線西ヶ原駅徒歩7分
・さくらトラム(都電荒川線)飛鳥山駅徒歩4分